鉾田陸軍飛行学校関係

鉾田陸軍飛行学校関係

鉾田陸軍飛行学校関係遺構 解説シート

監修 筑波大学 伊藤純郎名誉教授

1.鉾田陸軍飛行学校跡地   2.飛行学校校門

 鉾田陸軍飛行学校は、昭和15(1940)年12月2日、静岡県の浜松陸軍飛行学校内に開設された後、昭和16年1月15日、新宮村約400haと上島・白鳥両村約800ha(爆撃所)の土地に移転されました。
 昭和18年4月の調べによると、面積は北西-南東1,570m、北東-南西1,300mで、地面の状況は「概ね平坦で植芝が密生」し、「硬度は普通であるが降雨が長期になるとやや軟弱」となったようです。70×30mの格納庫、40×50mの格納庫が各3棟あり、給油・修理・宿泊設備(兵舎)がありました(『陸軍航空基地資料 第1 本州・九州』)。
 軽爆撃に関する教育と研究を行っていましたが、戦局が悪化すると作戦任務を担当するため、昭和19年6月24日、鉾田教導飛行師団に改編されました。フィリピン戦線では、陸軍の最初の航空特攻隊である「万朶隊」をはじめ、八紘第5鉄心隊・第8勤皇隊・第11皇魂隊が編成されました。その後も、第45・46・63・64振武隊、第3独立飛行隊(義烈隊)、誠第15飛行隊(白虎隊)が編成され、出撃しました。

陸軍航空基地資料 第1 本州・九州
                                                                            『陸軍航空基地資料 第1 本州・九州』

3.監的所(移転前)   4.監的所(移転後)

 飛行場の中心部から約3,500m南、爆撃目標の中心から北に約300mの場所(汲上)に設置された円柱型の鉄筋コンクリート製構造物です。県道拡張工事にともない、2018年1月に約50m南東側の現在の場所に移設されました。
 軽爆撃機・襲撃機の急降下爆撃演習・空中射撃(対地射撃)演習や砲撃の着弾、命中の精度を確認するために造られた施設です。「監的壕」や「監視哨」とも呼ばれていましたが、排水設備を要する地下型の「監的壕」ではなく、防空法により軍需工場や民有地に設置された電話施設を有する「防空監視哨」とは異なる施設です。
 幅約44cm、高さ約97cmの入口と7か所の観測窓があり、入口外側から内部に向かって右側に鉄扉が設置されたと思われる痕跡があります。爆撃目標の反対側に入口と防御壁があるのは、訓練内容により進入する方角が違うため、全方向を壁で防御する必要があったためと考えられます。爆撃訓練では演習弾を用いましたから、壁厚は砲撃用の監的やトーチカほど厚くはありません。

監的所(移転前)

監的所展開図

5.爆撃場跡地

 鉾田陸軍飛行学校では急降下爆撃演習、空中(対地)射撃演習、空中(吹流的)射撃演習、水平爆撃訓練が行われました。
急降下爆撃演習は、3,000m~4,000mの高度から45度~87度の急角度で1,000m~500mの低高度まで一直線に急降下し、白の三重丸の目標に演習用の爆弾を投下すると同時に急上昇または水平姿勢に戻る訓練です。
 採点方法は、真ん中の小円に命中すると5点、次の円内は3点、外側の円内は1点で、円外は0点で、投下高度によって採点点数が異なりました。

飛行少年_第7巻第2号、昭和19年2月1日、大日本飛行協会発行
                          (『飛行少年』第7巻第2号、昭和19年2月1日、大日本飛行協会発行)

 空中(対地)射撃演習は、爆撃所の地面に敷かれた白い「さらし」(布板)の中央に一機ずつ掃射する演習(布板的射撃演習)で、射撃者を判別するために、機銃弾の頭部に赤・青・黄・黒・緑などの色がついていました。
 爆撃場跡地は、演習弾による急降下爆撃訓練と対地射撃の布板的射撃演習に使用されたと考えられます。
 空中(吹流的)射撃演習は、飛行場上空ではなく離れた場所や海上で実施され、幅1m程度の白い布状の標的を引いた一機が離陸すると、赤、緑、紫などに着色した実弾を装填した機が離陸して標的を射撃するものです。終了後に飛行場にある「演習指揮所」(教官が無線で地上から指導)の真上あたりで切り離され「発車弾○○、命中弾○○、合計点○○」と戦果が報告されました。『航空少年』第21巻第6号(昭和19年6月1日、誠文堂新光社)では「鹿島の神域に敵撃滅の神技を錬る 鉾田陸軍飛行学校」と題して、空中(吹流的)射撃訓練の様子が掲載されています。
 水平爆撃、実弾を使用した爆撃訓練、空中(吹流的)射撃演習は、鹿島灘などの海上で行われました。

6.爆撃目標の三重丸

 監的所から南約300mの場所になります。昭和19(1944)年測量5万分の1地形図では鉾田飛行場の記載はありますが、爆撃場や監的所の記載はありません。
 しかし、昭和22(1947)年の米軍空中写真には監的所付近に爆撃目標の白い三重丸が写っていますし、昭和37(1962)年5月21日の国土地理院空中写真でも白の三重丸が確認できます。
 資料により「鉾田爆撃場」・「南基本目標」と記載されており、地面に大幅の白いさらし(布板)を敷いた「射撃場」としても使用されたとも考えられます。

米軍撮影空中写真(1947年10月25日、USA-373-49)
          米軍撮影空中写真(1947年10月25日、USA-373-49)

7.爆撃観測塔跡地(梶山)

 鉾田陸軍飛行学校顕彰碑奉賛会が発行した『鉾田陸軍飛行学校顕彰碑建立記念誌』(1975年2月)に掲載されている、梶山附近で1942年に撮影されたものです。 場所は特定できませんし、この他にも3~4か所設置されたのか、下部に建物があるかどうかも不明ですが、汲上の監的所とは異なります。

 爆撃観測塔があった位置や他の構造物があったのか特定できないため、現段階では、急降下爆撃演習は監的所と爆撃観測塔、空中(対地)射撃演習は監的所で、それぞれ着弾確認をしたのではないかと推察されます。

鉾田陸軍飛行学校顕彰碑建立記念誌

8.下士官官舎(宮内)

 鉾田陸軍飛行学校下士官官舎として使用されていたといわれる官舎です。戦後は宮内住宅として居住する方がおりました。登記簿上は2棟ですが、現況は結合しており1棟に見えます。

9.鉾田陸軍飛行学校顕彰碑(台濁沢

 鉾田陸軍飛行学校顕彰碑奉賛会が、昭和49(1974)年10月3日に建立した顕彰碑です。碑文には「我国特攻隊として最初に編成された万朶隊を始め、鉄心隊、勤皇隊、皇魂隊、振武隊四隊、神鷲隊十二隊、外四隊計二十四隊が編成された」と記されています。現在「鉾田陸軍飛行学校を伝える会」のみなさんが、顕彰碑建立記念日前後に顕彰碑前で慰霊祭を行っています。

顕彰碑

10.諏訪青山の地蔵菩薩(柏熊)

 爆撃場の拡張により新宮村烟田と諏訪村柏熊に移転を余儀なくされた上島村青山の長円寺の地蔵菩薩(鉾田市指定文化財)です。

 この他にも、イチョウが植えられた誘導路、電柱に貼付された「飛行支柱」銘板など、鉾田陸軍飛行学校と関連した遺構・遺物があります。
 地図を片手に調べてみましょう。

鉾田市域に残る鉾田陸軍飛行学校関係遺構

鉾田市域に残る鉾田陸軍飛行学校関係遺構

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