鉾田3.11東日本大震災の記憶
令和3年3月11日は、未曽有の被害をもたらした東日本大震災の発生から10年を迎える私たちが忘れてはならない日となります。
鉾田市でも、この震災によりかけがえのない命が失われ、また多くの被害を被りました。
私たちは3.11を忘れることなく、相次ぐ自然災害の教訓を活かし、日頃から防災・減災に対する心構えを持って生活していかなければなりません。
鉾田市長からのメッセージ
10年前の震災からの学び
平成23年3月11日金曜日14時46分宮城県牡鹿半島東南東沖130キロメートルを震源地としたマグニチュード9.0の日本周辺における観測史上最大の地震が発生しました。
茨城県では震度6強を観測し、鉾田市においても、道路や水道、通信等の各種生活インフラが寸断されました。
住宅が、全壊・半壊・一部損壊等の多大なる被害を受け、屋根にはブルーシートが張られ、少し高台から見ると青一色の異様な景色が広がっており、惨憺たる光景でした。
あれから10年という月日が流れました。市内から青い屋根が消え、市民の暮らしも落ち着き、震災前の毎日を取り戻したかに思えます。
まさに10年一昔と言われるように、コロナ禍の陰に隠れ、震災の事は昔の事のようになりつつあります。
しかし、私たちは忘れてはなりません。自然の偉大さ恐ろしさ、そして備えの大切さ、このことは絶対に覚えておきましょう。
震災などは、天災であり、防ぐ事は出来ないという人もいます。しかし、どんな災害でも起きてしまったときどう行動するのかによって、最小限に被害をくい止めることが出来るはずです。
10年前の悪夢のような災害から私たちは何を学べばよいのか、それは万が一に対し「備える」という事ではないでしょうか。
一人ひとりが備えを自覚し行動に移すことが、先の震災で犠牲となられた人達が身をもって私達に教えてくれた尊い教訓だと思います。
10回目の3月11日を迎え、犠牲となられた方々に対し、心からの哀悼の念を捧げ、市民と共に生活の中に「備え」を取り入れ、防災を意識しながら日々を送って行きたいと思います。
当時の写真
(県道 水戸鉾田佐原線) (冨士橋)
(市道大洋4222号線) (鹿行大橋)
(旧鉾田駅での液状化現象) (総合公園体育館)
(第二保育所) (鉾田第二高等学校体育館)